多くの歴史を秘めた「御殿場線」
日本一の富士山ビュー
御殿場線は、国府津から箱根山と富士山の間を抜けて沼津へと至る路線です。箱根や丹沢の山々だけでなく世界遺産の富士山を眺める路線として、これ以上のロケーションはない。松田では小田急との乗り入れがあり、都心からそう遠くない場所で梅や山北の桜トンネルなどの花見スポットが多いのも魅力だ。本線の管轄はJR東海である。そのため全ての駅の標識が東海カラーであるオレンジ表示となっている。
御殿場線の歴史は古く、開通した明治時代から昭和初期まで東海道本線の一区間として運行されていた。当時は東海道本線最大の難所といわれ、25‰が補助機関車を連結し山間をかけ抜けていた。東海道の人員輸送には御殿場線の線区が唯一であったため、輸送力強化のために1890(明治23)年から1901(明治34)年まで11年かけて複線化工事も行われている。山北駅裏手、山北機関区跡の碑や鉄道院の刻印の入った跨線橋の支柱などとともにD52 70が保存されている。1934(昭和9)年丹那トンネルの開通に伴い、東海道本線は熱海駅経由に変更されたため、国府津駅ー沼津駅間は支線の御殿場線となった。「汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ 僕らをのせて シュ・・・」で始まる童謡「汽車ポッポ」は御殿場線のことをうたった有名な 歌でもある。
国府津から鉄道の町・山北へ
国府津を出発し、高架を走ると小田原の市街が眼下に広がり下曽我を過ぎた辺りから酒匂川と並行して走る。酒匂川はアユ釣りの名所で、夏には水面に糸を垂らす釣り人たちの姿が多く見られる。続く山北は線路の両側の桜並木が桜のトンネルを作り、跨線橋からの眺めは鉄道ファンならずともよく知れた風景だ。山北から御殿場にかけては急な上り勾配で、昔は補助機関車が必要となった。この補助機関車が配属されたのが山北機関区である。丹那トンネルが出来るまではほとんどの列車が山北駅に停まり、補機を連結して御殿場までの上りに備えた。かつての“鉄道の町”でもあり、駅周辺は四六時中、蒸気機関の吐く煙が立ち上っていた。今では駅裏手に、「山北鉄道公園」が設けられ、D52 70が保存されている。沿線の車窓からは所々で東海道本線だった時代の複線跡や使用していないトンネルを見ることができる。
山北駅を訪ねる
山北駅舎を出るとス丸ポトのお出迎えだ。やはり昔ながらの木造駅舎には、丸ポストはよく 似合う。遅めのお昼ご飯を、北口広場の御殿場より直ぐ隣りにある昭和の駅前食堂って感じの「しみず」で味噌ラーメン・ミニチャーハンをいただく。厨房では高齢のお母さんが調理中、ホール担当は娘さんの2人で切り盛りしている。お客さんは地元の人ばかりのようだ。帰り際に「お口に合いましたでしょうか?」と聞かれる。少し残してしまったので、ダイエット中に付き申し訳ありませんと詫びて店をあとにした。
山北駅~御殿場駅~沼津駅間車窓風景
山北を発車した列車は長いトンネルを抜けると開業当初は薪や炭を発送する駅として機能していた谷峨に着く。この駅の谷底にあるような風景は個人的には好きだ。右手には高架の東名高速道路が近づいてくる。山深い谷峨、駿河小山、足柄を過ぎれば富士山登山の入口御殿場駅に到着する。この間いくつものトンネルを抜け鉄橋を渡る上り通しの区間だ。多くの乗降客の中には登山姿が目立つ。御殿場近辺は遮るものがないので真正面に見える宝永火口は迫力があった。
これから先は上り列車にとって難所となっていた沼津側の長い急勾配を、一気に下って行く。車窓左側(西側)には富士山が広がり、田んぼや畑の中を南御殿場へ、勾配の途中に設けられている富士岡駅と岩波駅では、東海道本線時代に使用されていたスイッチバックの跡が残されている。。裾野の手前で東名高速道路が右側(西側)に離れると、徐々に勾配が緩やかになり、かつての三島駅であった下土狩駅の先では東海道新幹線が上を通り、市街地が広がってくる。やがて下ってきた急勾配もいつしか緩やかになり、何事もなかったように平坦である。富士の半ばを隠している前山の愛鷹山が見えるころに沼津駅に到着した。
2016年8月31日・9月2日
国府津駅―下曽我駅―上大井駅―相模金子駅―松田駅―東山北駅―山北駅―谷峨駅―駿河小山駅―足柄駅―御殿場駅―南御殿場駅―富士岡駅―岩波駅―裾野駅―※長泉なめり駅―下土狩駅―大岡駅-沼津駅
※は昭和50年(1975年)以降に設置された新駅。
※ 「赤」の駅は硬券と駅スタンプが表示されています。「青」の駅は駅スタンプのみです。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。