北海道の廃線跡を訪ねて ー遠軽駅~興部駅間ー
全国には地域全の盛衰や交通の変化などにより姿を消して行った鉄道路線んが数多くある。廃線となった鉄道の施設は撤去されてしまうのが普通ではあるが、撤去されずに残っている場合や、鉄道資料館などに形を変えて残っている場合などもある。そんな鉄道廃線跡に残された在り日の痕跡を訪ねてみた。名寄本線は、北海道の名寄から遠軽までの138.1km、および中湧別から湧別までの4.9kmを走っていた路線だ。大正10年に全線開通した際は旭川と北見を結ぶ役割を担っていたが、昭和7年に石北本線が開通するとその役割を譲り、平成元年に廃止されている。
特急オホーツク1号/札幌発7:21 遠軽着10:55、駅には幼馴染が迎えに来ていた。打ち合わせもほどほどに早速出発する。先ず名寄本線、名寄本線湧別支線、湧網線が四方に伸びて鉄道の要衝であった中心駅の中湧別駅に向かった。出発してまもなく一面に畑が広がる一角に草に埋もれた線路跡を発見、農作業をしていた方に訪ねると往時を偲ぶがごとく丁寧に説明してくれた。
中湧別駅跡は道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」になっていた。広い敷地内には、中湧別駅のホームや跨線橋などが保存され、ホームには車掌室も展示されて鉄道資料館となっている。木組みのホームの上屋や、そこから下がる駅名票などに一昔前の駅の雰囲気が伝わっくる。
沼ノ上駅跡にはホームが残っており、駅名票も復元されて立っている。駅名票の下には駅の由来が記載してあり、今の駅跡の姿からは想像しにく いが、大正10年の開業から58年間は駅員の配置された駅だったことが書かれている。駅の側には棟続きの駅長と助役の官舎が一部改装されて一般の住宅になっていた。別棟の倉庫もそのまま利用されているようだ。
富丘-渚滑間の思沙流川にかかる鉄橋も、現役時代のままにその姿を川面に映している。続く築堤は、荒涼とした風景の中を真っ直ぐに伸びていて、線路跡はオホーツク海に沿って進んで行く。かつてはオホーツク本線構想の一翼を担ったこの区間も、国道と海岸に挟まれた原野の中で草に埋もれていた。
紋別駅跡は駅舎・ホームなど全て撤去され鉄道の面影はなくがっかりだ。せっかくなのでカニでも食べようと観光案所で紹介された「本ずわい甲羅盛」のマルマ松本商店三を訪ねオホーツク紋別産「海明け毛がに丼」を美味しくいただき、食後は紋別港ををぶらぶらと観光することにした。
興部の駅跡は道の駅「おこっぺ」になっている。交通記念複合施設「アニュー」内には鉄道歴史展示コーナーがあり、またディーゼルカーが簡易宿泊施設として設置されているなど、駅跡であることがよくわかる。また、道の駅の裏手には、廃線跡を利用したサイクリングロードが通っている。
明日は渚滑線跡を訪ねるため、名寄本線の興部駅から中興部・西興部・上興部経由天北峠を越えて名寄までの区間は次回に楽しみとして残すことにした。
2015/7/4
駅一覧
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湧別支線
※ 「赤」の駅は硬券と駅スタンプが表示されています。「青」の駅は駅スタンプのみです。
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