釧路駅を起点に道東の人気ローカル線を旅する
網走行の快速「しれとこ」で出発!
釧網(せんもう)本線は、東釧路駅から川湯温泉駅を経て網走駅に至る全長166.2kmの鉄道路線。釧路湿原の中を走り抜け、オホーツク海に沿って走る風光明媚な路線として人気が高い。路線名は釧路と網走を結ぶ路線という意味で命名された。正式には、網走から東釧路に向かう列車を下りとしているが、今回は、線名のように釧路を起点とする旅にしてみた。釧路駅は、札幌とを結ぶ特急列車「スーパーおおぞら」が発着する道東を代表する港町のターミナル駅だ。そのせいもあって改札口には自動改札機もある近代的な造りとなっている。釧路は根室本線所属駅なので、釧網本線の列車は、一駅だけ根室本線を走って東釧路から釧網本線に入っていく。
乗る列車には指定席がないため早めに釧路駅に行き9時5分発の快速「しれとこ」号が入線してくるのを待つことにする。快速「しれとこ」は常時ヘッドマークを着けている数少ない列車の一つである。この列車が網走に到着するのは12時5分、ちょうど3時間の旅になる。普通は一両のワンマン運転のようだが今日は利用者が多く2両編成だった。乗客は観光客ばかりで高校生以外には地元の利用者は見当たらない。ホテルから駅に向かうタクシーの運転手さんによると地元の人は列車を使わず車で網走方面に行くようだ。時間は鉄道で行くのと変わらないようである。幸いにも早めに来たお蔭で朝陽が差し込まない進行左側の窓際席を確保できた。
広大な湿原をひた走る
乗車すると間もなく2両の車両が期待を乗せてゆったりと走り出した。釧路川の鉄橋を渡り、根室本線との分岐駅・東釧路へ。東へ向かう根室本線と分かれ、釧網本線の旅が始まった。単線の細かい鉄路を行く列車は、いかにもローカル線の佇まいで、「本線」とは名ばかり。しばらく国道と併走し、遠矢駅を通過するといよいよ車窓左には、日本最大の釧路湿原の大パノラマが展開する。湿原の先には絶景の雄阿寒(おあかん)岳、雌阿寒(めあかん)岳の二つの山が並んで望める。
ログハウスの釧路湿原駅は釧路湿原観光の拠点で案内所や売店もある。次の細岡駅を発車した列車の車窓左に蛇行して流れる釧路川が近づいてくる。この川はカヌーツアーが盛んで車窓からもカヌーを楽しむ姿を見ることができる。列車は釧路湿原の東に位置する最大の湖・塘路湖ちかくの塘路駅へ。
塘路駅を発車して、ほとなく撮影ポイントがある白樺並木の道に沿って走り、先には塘路湖、シラルトロ湖を左右に見ながら、再び釧路湿原の中に入り小さな沼地が目に入る。今度の停車駅茅沼(かやぬま)は「タンチョウの来る駅」として知られている。今は無人駅だが、昭和30~40年にかけて歴代の駅長さんが餌付けを行い目の前でタンチョウを見ることができた。
五十石を経て、人家が増えてくると標茶(しべちゃ)だ。かつてこの駅から東へ分岐して標津(しべつ)線が走っていたが、。もう22年前の1989年に廃止になっている。こころなしか紅葉が始まっている標茶駅を過ぎ、磯分内駅、南弟子屈駅を通って摩周駅へと進む。この間はひたすら牧場と草原が続く中を走る。摩周駅は1990年(平成2年)に観光振興のため弟子屈(てしかが)駅から摩周駅に改称されている。次の美留和(びるわ)は、響きも美しい駅名だ。小さな駅舎は不要になった車掌車を改造たもので牛のたむろする牧場をあしらったイラストが可愛い。森の中を進むと道東の秘湯、川湯温泉の玄関口川湯温泉駅に到着する。摩周駅と同様、「日本一のカルデラ湖屈斜路(くっしゃろ)湖や神秘の湖摩周湖」などへの下車駅になっている。構内には旅人の疲れを癒す足湯がある。
川湯温泉駅からの勾配区間を上り、軽やかに下っていくと緑という単純な名前の駅に到着する。小さな駅舎の屋根も緑色なのには思わず笑ってしまう。
次の札弦、清里町と畑や牧草地の中を軽快に走るが、清里町駅では5,6名の登山姿の若い男女が下車して行った。右手前方に見える日本百名山の一つになっている斜里岳へ登るのだろう。その後ろ姿を見送りながら列車は南斜里、中斜里駅へと進み、世界自然遺産:知床半島への玄関口・知床斜里駅に到着する。ここでは多くの観光客が下車して5分ほど停車、空いた海側の右側席に素早く移動する。本当にラッキーです!その間に、定期快速列車では珍しい駅売店の車内販売があった。アイスクリーム・飲み物やおにぎりなどが販売されている。この駅はずーっと斜里駅として親しまれていたが、知床がメジャーな観光地になったので、1998年(平成10年)に知床斜里駅に改称されている。
間近に迫るオホーツク海
ここからは終点網走まではずーっと右手にオホーツク海を見ながらの旅だ。知床斜里駅を過ぎると早速「夏の真っ青なオホーツク海」が目の前に広がってくる。まさに、オホーツク・ブルーだ。例年、厳冬期の2月中旬ともなれば接岸した流氷がオホーツクの海を真っ白に覆いつくす壮大なパノラマが期待できる区間だ。かつてはオホーツクに沿って東から北へ湧網線(ゆうもうせん)、名寄本線(なよろほんせん)、興浜南線(こうひんなんせん)、興浜北線(こうひんほくせん)、天北線(てんぽくせん)など、いくつもの路線が走っていたが、相次ぐ路線廃止に伴って、オホーツク海縦貫線(オホーツクかいじゅうかんせん)構想は現実化しなかった。「オホーツク海が車窓から望める景勝路線は釧網本線のこの区間」だけになってしまった。寂しい限りです。
最初の停車駅止別(やむべつ)はなんとも味のある木造駅舎で駅舎内には「ラーメンきっさ えきばしゃ」が入居している。お店は車での利用客が多く、この辺 ではおいしいラーメン店として地元民からも愛されているようだ。 この先、浜小清水、北浜、藻琴と,駅舎に喫茶店や レストランが入った個性的な駅が続き,「オホーツクグルメライン」とも呼ばれている。
快適だった列車内が暑くなり、浜小清水からは扇風機が回り始める(客室の壁にあるスイッチを押すと回り始める)。今時にしては珍しい非冷房で、涼は扇風機か窓を 開けるかの二択となっている。やがて海とは反対の左手に原生花園が広がる。見頃の6~8月ともなればピンク、赤、白など色とりどりの花々が咲き草原を埋め尽くすようだが、私が訪れた9月中旬には既に季節外れで、彩とは遠い草原の姿しか感じられなかった。原生花園駅は濤沸湖(とうふつこ)とオホーツク海に挟まれ、絶景の地に佇む観光シーズンのみ営業する季節限定駅になっている。
次の北浜駅は、海岸まで20m、オホーツク海に一番近い駅として知られている。木造駅舎の駅事務室を改装したレストラン『停車場』のビーフシチューが名物だ。待合室の壁面は、旅行者が訪問の足跡として貼った名刺や切符などが所狭しと貼られ埋め尽くされている。夏もいいが、冬にはこの海に、流氷がやってくる。古い駅舎とホームに設けられた高さ5m程度の展望台からは間近に迫る真っ白なオホーツク海が旅情を誘う。
次の藻琴駅は昔なつかしい大正時代にできた木造駅舎で郷愁を感じさせる。かつて有人駅だった時の駅事務室は「軽食&喫茶トロッコ」として再利用されている。そして年季を感じさせる木造駅舎が堂々と佇む鱒浦駅。2つ隣の北浜駅のようにレストランや展望台はないが、少し高台にあるホームから道路を挟んで遠巻きにオホーツク海が眺望できる。もちろん、冬ともなれば流氷も見みることができる。列車がオホーツク海を離れると間もなく板張りホームの無人駅桂台だ。出入り口となる階段は雨や雪が降っても心配ないように屋根が付いていて利用者に思いやりのある新設設計になっている。
珍しい「縦書き駅名看板」網走駅
やがて列車は網走の市街地にさしかかる。鉄道路線の乗換駅としては、最北の網走駅が釧網本線の終点だ。線路はそのまま西へ向かう石北本線へと続いている。駅を出ると、小さな広場の先に階段があり、降りたところで振り返ると、煉瓦造りの柱には縦書きの網走駅という看板が設置されている。駅名は旧国鉄時代から横書きと決められていたが、これには深い理由がありそうだ。
それは網走刑務所から出所してくる者がもう二度と「横道」に反れないようにという願いを込めて、昭和27年当時の網走駅長さんが縦書きに変更したと伝えられている。出所した受刑者はここから蒸気機関車に乗って故郷に帰るしかなかった時代のことです。規則を曲げても縦書きにした駅長さんの思いやりと心意気を感じるエピソードといえる。網走から旭川に行く特急「オホーツク6号」まで約1時間30分もの余裕があったので、思い立って駅前のタクシーを利用して旭川の観光名所になっている網走刑務所とオホーツク流氷館(天都屋展望台)を慌ただしく回ってきた。
2011年9月11日(日)
駅一覧
東釧路駅―遠矢駅―釧路湿原駅―細岡駅―塘路駅―茅沼駅―五十石駅-標茶駅―磯分内 駅―南弟子屈駅―弟子屈駅(摩周駅)―美留和駅―川湯駅(川湯温泉駅)―緑駅―札弦駅―清里町駅―南斜里駅―中斜里駅―斜里駅(知床斜里駅)―止別駅―浜小清水駅―(臨)原生花園駅―北浜駅―藻琴駅―鱒浦駅―桂台駅―網走駅
※ 「赤」の駅は硬券と駅スタンプが表示されています。「青」の駅は駅スタンプのみです。
※( )内は昭和50年(1975年)以後に改称された駅名。
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