JR北海道「ワースト2」、石勝線夕張支線に乗ってみた
石勝線(せきしょうせん)は、千歳市の南千歳駅~新得駅を結ぶ結ぶ本線と、夕張市内にある新夕張駅~夕張駅間の支線からなるJR北海道の路線です。路線名は、石勝線に編入される以前の追分駅~ 夕張駅間は夕張線(ゆうばりせん)と称していた。その後も新夕張駅~夕張駅間の通称として用いられている。夕張支線はJR北海道のなかでも利用状況の悪い路線だ。輸送密度は1日1kmあたり117人(2014年度)とのことだ。JR北海道の中では札沼線「北海道医療大学~新十津川」間に次いで利用者が少ない。元々石炭輸送を第一に考えてつくった路線なので、石炭輸送がかくなった今では人口減に伴い夕張の街は衰退の一途を辿っている。今年3月のダイヤ改正では1日9往復から1日5往復に減便される。将来的にはトンネルや橋の老朽化による安全性確保の問題から廃止される可能性は大きいので、その現状を見に追分から石勝線の夕張支線を往復してきた。岩見沢から追分に着いたのが13時38分、これから夕張に行くには追分始発15時15分が最も早くその間の列車はない。荷物もあるので駅前の渡辺ホテルでしばらく休んで身軽になって駅に向かった。夕張行き列車の多くは新夕張始発、でも日に何本かは千歳・追分の始発が設定されている。追分から夕張までの所要時間は1時間5分、夕張停車8分の折り返しで戻れば17時26分に追分に戻ることが可能だ。列車は夕張に向かって上り勾配が続くので、戻りの夕張から追分に帰る上り列車の方が数分早く着く。
懐かしい駅「紅葉山(現・新夕張)」
追分を出発した列車は新夕張駅から夕張支線に入る。全線が夕張市内で、紅葉山地区から中心部の夕張地区まで谷間を沿うように進む。夕張市の人口のほとんどがこの地域に集中している。新夕張駅の旧駅名は紅葉山駅。ボクは紅葉山の方が素敵だとおもいますが、新○○駅なんてどこにでもあるような駅名に変わってしまい、地元の人もさぞかし残念がっているのではないだろうか。現在の新夕張駅は旧紅葉山駅の背後の高台に造られている。新夕張駅駅舎を出ると町内の案内図とともに紅葉山の駅名標が残されているようで、機会があったら紅葉山駅跡に足を運んでみたいものだ。 夕張支線に入ると綿のような雪がにわかに降ってきた。沼ノ沢、南清水沢、清水沢の各駅では人の動きがあった。一方的に下車するだけではなく、乗るお客もいる。駅前には住宅やスーパー等もあり、人の気配を感じる。乗っているのは地元のお客で、鉄道ファンらしき人も数人いた(折り返しも乗っていた)。雪は次第に激しくなっていく。清水沢~鹿ノ谷間は距離があり、しかも峠越え区間なので慎重な徐行運転だ。もう豪雪で帰りが心配になる。案の定、翌日は除雪作業で午前中は運休になった。結果論であるが、夕張宿泊予定を追分に変更して正解であった。次の終着夕張までは約1kmしかないため、乗るお客はいない。終点夕張駅は行き止まり式の構造で、駅舎とトイレは夕張市が管理している。折り折り返しの時間が8分しかないためあたふたと駅周辺を写真に収めぎりぎりでその列車に飛び乗った。夕張駅は特徴のある駅舎で観光案内センターもあり、駅舎の背後には大きな建物の「マウントレースイ」ホテル。このホテルは温泉施設も兼ねスキー場も運営している。
廃止になった炭鉱路線
昭和62(1987)年の国鉄分割民営化前後を中心に幌内線(岩見沢⇔幾春別)、万字線(岩見沢⇔万字炭山)、歌志内線(砂川⇔歌志内)、上砂川支線(砂川⇔上砂川)など多くの炭鉱路線が廃止になっている。夕張メロンの産地として知られる夕張市は人口1万人を切っており、日本で二番目に人口が少ない「市」になった。人口減少率に関してはワースト1位で、2007年3月には市の財政が破たん、「財政再生団体」となっている。民間企業に例えれば倒産したと同じと言える。建物は空き家が増え昭和のまま、平成の雰囲気は皆無。人通りも少なく、活気に乏しい。さて、どうしたもんだか。。。 2018/1/28(木)
(夕張支線)
駅一覧
紅葉谷駅(新夕張駅)―沼ノ沢駅―南清水沢駅―清水沢駅―鹿ノ谷駅―夕張駅
赤の駅は切符・駅スタンプ(ない駅もあります)、青の駅は駅スタンプがご覧になれます。
※ ( )内は昭和50年(1975年)以降に改称された新駅名。